第九話:信義

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愛とは包まれている時は大変気付きがたい。
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第九話:信義

・家族

自宅浪人の朝は早い。

朝7時に起床をし、歯を磨く。寝ている時に繁殖した口内の菌を一掃できるよう念入りに磨く。よく出血をするので歯磨きのやり方が悪いのではないかという不安がよぎるが、迫り来る出発時間への焦りですぐに忘れる。

バイト先へ着ていく服に迷いはない。どうせすぐに作業着に着替えるのだ。最重要なのは温度調整機能。それ以外は大した価値をもたない。Tシャツかヒートテックかの瞬間判断で終わらせることができる。直様着替えに取りかかる。

ここまで起床からわずか10分。圧倒的な早さである。

7時30分発と考え、時間に余裕があると勘違いしてはいけない。この時間から欲をかいて御飯を食べると大抵遅刻する。意外と御飯というものは時間を食うものなのだ。御飯とは真剣勝負の世界だ。一度集中すると周りに気を配る余裕はない。時計を見るなどもってのほかだ。勝負への礼節を欠いてはいかん。

そう油断は駄目だ。油断せず一旦布団に戻る。

そうだ。5分だけ目を瞑ろう。これは賢い判断だな。

うんうん。いや5分だと微妙に手持ち無沙汰な時間ができてしまうな。よし、10分だけ目を瞑ろう。そうしよう。今日も冴えてる。

 

 

この日、あるスーパーで、遅刻で怒られた男だいたそうな。

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正直、自宅浪人の生活は結構しんどい。それは非日常がないし、確信の持てる進捗を感じる機会がほとんどないからだ。

バイトをして、帰って来てお昼御飯を食べて、13時30分くらいだ。一日5時間は勉強しようという意気込みのもと、机に座るが5時間の勉強をするのに必要な時間は8時間だ。カリキュラムも教材もない。全て己の情報収集能力を信じて、一から創り、購入していかなければならない。この不安を分け合える友もなく、誰が応援してくれる訳でもなく。ただ、机に向かい耐え忍ぶのである。休憩と息抜きと気分転換がなければやっていられない。

一日を通して話すことがあるのは家族と、バイト先のおババ様達だ。俺のボキャブラリーは既に汚染され始めている。「わかりました」「はい」「飯」「風呂」この4語があれば俺は一日を過ごす事ができる。間違いなく言語中枢に異常を来すであろう。今後の人生を送るのに支障がでないか誠に不安である。

その上、家には最近停学を食らいまくっている弟もいる。ヤンチャ盛りだ。ヤンチャ坊主の周りにはヤンチャ坊主が集まるという普遍の真理がやはり存在するのだろうか。我が家の庭には連日、人を乗せて走るだけでCO2を多分に含んだ廃棄ガスとけたたましいまでの爆音が生まれるバイクが連なる。機関銃のような音からラッパのような音まで多様ではあるがおしなべて間違いなく100デシベルは出てる。こいつらのバイクは近づいてくるのが遥か遠くからでも個体判別ができる。あと頼むから旗を持ち込むのは辞めてくれ。

全くもって勉強がしやすい環境とは言いがたい。

常に孤独や将来への不安はつきまとい、ストレスで訳もなく当たり散らしたくなる時もある。

だが、いつも何も言わず見守ってくれるばあちゃんや、暴れん坊将軍みたいななりをして気さくな弟とかを見ると、やはり頑張りたいと思える。

いつか、皆で大笑いできる日が来るのだろうか。我々が満たされる日は来るのだろうか。

決して器用な人たちではない。どこかでいつも不自由を感じているんだろう。けど、暖かくて、自分を持っている。俺は自分を強く持っている訳ではないが、多少の賢さがある。そう信じたい。

全くもって、つまらん日常だが、耐え忍ぶ意味はある。だから明日もバイトに行くんだ。何者かに早くなりたいものだ。

そんな日々が続いてくんだ。

・恨み辛み嫉み

ばあちゃんは俺が初めて会った時から、一人で家に住んでいた。

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浪人を始めてからはほとんど家にいるので必然的にばあちゃんと話す機会が増えた。俺の部屋は襖障子で囲まれた大部屋をあてがわれただけなので出入りが自由だ。構造上立てこもる事はできないし、音を遮る事もほとんどできないので、集中力がきれることが多い。気分転換のため休憩しているとばあちゃんが近所さんからもらってきたお菓子をくれる事が多かった。その時にはゆっくりお茶でも飲みながら二人で話すもんだ。ある日ばあちゃんから、初めて亡くなってしまったじいちゃんの話を聞いた。

じいちゃんはとんでもなく浪費家だったらしい。稼いだお金はほとんど自分のために使ってしまうようなしょうもないやつで、家族を顧みなかったらしい。今の親父とかなり似ている所があるとのこと。幼少期の環境が今の親父の行動に影響を与えていると考えているから、負い目を感じているんだろうな。ばあちゃんが親父に対して強くでれないところに納得がいった瞬間でもあった。

あんまりじいちゃんの話はしてくれなかったが、愛していたんだろうな。毎日かかさずお仏壇に線香をあげている姿から俺は勝手にそう推測をしている。

ばあちゃんは必死に働きながら親父を含む4人の子を育てたけど、育ててる最中は大変で、言う事を聞かない子供を殺してしまおうかと思った事もあったらしい。頭を下げ、少ない食料を分け与えながら育てる時期は本当に辛かったそうだ。

それでもなんだかんだ育て上げ、そして今また、孫を育てている。還暦を過ぎても、いまだに頭を下げ、働き家族を養っている。自分で野菜を育て俺らを育ててくれている。そのくせ服を買ったり、美味しいものを食べたりと、自分のことにお金を使っている姿を見た記憶がない。

 

本当に偉大な人だと思う。

こんな偉大な人と、世界でもてはやされている人の何が違うのだろう。

どうしても悔しさを覚える。

何故こんな必死に生きても報われない。

何故普通に生きられないのか。

何故俺たちだけがしなくてもいい苦痛を味わうのか。

何故。

人の幸せがどこにあるのだろうか。富とはどのように分配されているのだろうかか。偏っているのかそれとも実は存在すらしていないのだろうか。どうやったら見つかるのだろうか。どうしてこんなにも不平等や世の中なんだろう。贅沢など望まない。ただ俺たち家族が人に迷惑をかけず生きていける力が欲しい。

 

一体何が悪いんだろうな。

一体誰が悪いんだろうか。

誰を恨んでこれから生きていけばいいのだろうか。

誰も悪いわけじゃないだな。
ただ育った環境が悪いんだろうな。

誰か一人が悪いんじゃなくてそうなっちゃう理由をどうにかしないといけないんだな。

なんとなくだけど家族というのは欠けたら駄目な気がする。家族が円満なら、離婚もしないし、苦しくても助け合って生活や子育てができるはずだ。それができていればたくさんの問題は解決していくような気がする。

 

ならば知りたいと思う。知らない事ばかりなんだ。

お金はどこにあって、どう生み出せばいいんだ?

何故人は離婚をする?何故結婚をする?

人の幸せはどこにある?どうやって幸せになったらいい?

世界の幸せの量は決まっていて、実は俺たちは搾取されているんじゃないだろうか?

 

本当にたくさんあるわからないことは、大学という場所に、東京という場所に行けばわかる。不思議とそんな気がしていた。

だから俺は今日も机にかじりつこうと思う。

 

・恩義

あっという間に冬が来ていた。

俺はセンター試験では出願せず、私立の大学を一般入試で3つだけ受けた。怠惰のツケがまわってきたのか英語のリスニングだけは如何ともし難かった。受験料は相変わらず馬鹿げた高さで振り込む時にまたもや怒りが込み上げて来たが、今回は積み上げた時間という想いが篭った分この勝負事にかける値打ちとしては妥当な気もしてなんとも言えない気持ちになった。

 

受験の時は雪が降った。俺は金がなくてオープンキャンパスにも来ていない。初めて見る真っ白な大学のキャンパスはどこか幻想的だった。だが振り返れば校舎へ向かう人の列を見てこれほどの受験者達のどれだけが夢破れて去っていく事になるのだろうかと、物悲しい気持ちになった。感情が落ち着かなかったのは多分フワフワしていたからだと思う。

 

2月16日に俺は受験を終えた。結果は神のみぞ知る。祈ることはない。信じて待つだけ。

 

俺は池袋にある大学へ進学することを決めた。

だが、問題が発生していた。入学金が払えない問題だ。

自宅浪人する当初、毎月3、4万できる範囲でいいので入学金の準備をしてもらう約束を親父とした。自分自身扶養に引っかからないように100万ほどを稼ぐペースで働いていたが、どうしても自分へのお小遣いや教材や交通費、受験料等もあり、3月時点で60万ほどしか持っていなかった。バイト代は一ヶ月遅れの振込なので、どうしても足りない部分が出てしまう。

なので親父に積み立ててくれていた分のお金をくださいと言ったら、実は何も積み立てていないというオチだった。

本当に失望した。それは親父にも勿論だが、自分にだ。

本当は薄々気付いていた。こんなお願いを親父が守るはずがないことを。だが怖くて言い出せなかった。途中で貯めていないと聞いてしまったら自分が折れてしまうと思った。でも、本当は聞くべきだったんだ。そして何度もお願いするべきだったんだ。こんな結末わかっていたはずなのに。

どうしていいかわからなかった。怒りより絶望が湧いてくる。初めて寒さ以外で身体が震えることを体感した。

見えているんだ。後少しで全てが報われる。だが、たぐり寄せたはずの蜘蛛の糸を俺は掴む事ができない。

離れていく。もう、どうしようもない。諦めよう。俺はこのまま引きこもりになってクソみたいな人生を歩むんだ。もうどうでもいい。

 

だが、再度蜘蛛の糸は垂らされる。

それを垂らしたのは、人だ。人の力だ。

ばあちゃんが俺に糸を垂らしてくれた。

近所の仲のいいおじさんや、遠い親戚筋に頼って、お金を貸してくれるよう連絡を取ってくれた。

俺はほとんど面識のないお二方から合わせて引っ越しのための資金等を合わせて45万ほどを貸していただいた。利子はない。いつか働いたら返してくれと暖かい言葉をかけていただく始末だ。

ありがてえ。本当にありがてえ。人の善意が染み入る。

俺はね、別に神を否定する訳じゃないけど、このとき本当に祈るべきは人なんだと確信したんだよ。人を助けるのは結局人でしかない。人と人との繋がりが本当に尊いものなんだと思ったんだ。

 

僕は未来への切符を手にした。
手渡してもらったんだよ。

 

こういう大人になろうと、してもらったことは必ず下の世代にもしてあげようと、心に固く誓ったんだよ。

深い愛情と恩義をこの時ほど感じた事はない。

 

 

俺はもう二度とここで暮らす気はない。

この家は、この地は、俺にとっては、辛さや悲しさを象徴する場所だ。だが、それらを覆い隠すほどの人の温かさに触れた場所でもあり、そのせいかどうしようもなく色々な事を考えてしまう場所になっている。

だが、途方もなき恩。多くの人に支えられてここまでこれた。

本当にお世話になりました。

 

誰かが、何かが、俺をどん底から押し上げた。

ならば、俺は信義を果たしたい。

この人生をより多くの人にとって意味あるものにできたのなら、俺が押し上げてもらったことに意味があると思えるんだ。

俺はやるぞ。

【第十話へ続く】

あとがき

お疲れ様でした。

この浪人期は結構思い入れが強くて、書くのに大層な時間がかかってしまいました。

この期間は人格の形成のための原体験が多くあった時期で、親父への恨みがなくなったり、仲の良かった友人が性産業に携わっていることが発覚したり、暴走僕の生態を垣間みたりと、多くの人間の負の側面を目の当たりにしながらも、それでも前を向いてく強さや心根の美しさに心打たれたりしました。多くの身近な人達も平気な顔して多くの悩みを抱えているんですね。

また、インターネットや大人の意見に左右されず、自分だけを信じ抜いたことで結果が出てくれた事も自信として今も私の人生を助けていてくれたりします。自分が塾も行かず大学に進学したことが後輩達の励みになったと感じられる瞬間にも何回か立ち会えて「挑戦というものはいいものだな」や「やり方を考えた上でやればなんとかなる」と確信できたのは大きな財産となりました。

今回のテーマはないです。もし誰かがこの文章を見て何かを感じてくれたらとても嬉しいです。

誰かの一助になれば幸いです。
2017/10/10 ロマンチストサラリーマン

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