一年くらい鬱で会社休んだが、ようやく一段落ついたので理由を考察した

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ある日突然、絶望が歩いてきて僕らに通告する。

「夢は終わりだ。」

凄く親切な顔をして、誰も傷つけないような顔をして、真実を告げて去っていく。

ーー

何故その考えに至れたかは正直明確にはわからない。

ただ、自分の中で、ずっと悩んでいたことは終わりを告げた。

 

自分は「特別」だと思っていた。

ずっと多発性脱毛症に悩まされ、苦しんできた自分は、その代わりに大きな物事を成せると信じ込んでいた。そうでなければこんな不公平な世の中を受け入れる事ができなかった。そう納得していないと「何故自分だけ」という誰にも答えを出せない問いに答えることができなかったからだ。

だから、「私たち家族が感じた困難を解決できるような世界への変革」が自分にはできると思っていた。

それができれば、ばあちゃんは喜ぶと思っていた。お金がないなかでずっと子育てをして、このまま生涯を終える彼女に、「偉大な人生を歩んだ」と実感して欲しかった。人生の幸福を感じながら、最後の瞬間を迎えて欲しいと思っていた。そして、その横で「人生の喜び」を感じさせることができたと実感が欲しかった。変わっていく世界を自分たちが作り出し、それを実感できるような未来を俺は死ぬほど望んでいた。

 

しかし、時間は有限だ。

大学3年生の頃、ばあちゃんが倒れた。足が少し動かなくなったらしい。どこかの血管が切れたらしく叔母さんに「覚悟はしといて」と言われた。

覚悟などない。恩返しも何もできていない。ほんの少しの焦りだけが生まれた。

 

就活の時、成長と主体性を主眼にした。成長軸の網羅性とリスクヘッジと思い出も付いてくると感じた会社に就職を決めた。

社会に出たら「最短ルート」を「最速」で通るしかない。

目指す世界に大きく動き出した。

 

一方で焦りは大きくなっていた。

卒業を前にして4年ぶりに帰省したが、彼女は見ない間に凄く白髪が増えていた。こんなに小ちゃかったっけと思った。生命力が凄く減っているように感じたが。ドアを埋め尽くすように貼られた、小分けされた薬は痛ましくて見ていられなかった。

 

必死に働いた。

研修で自分の能力は思ったより低かったと実感した。

「最短ルート」はわからなかった。しかし、それは視座や能力が低いから見えていないだけだと思った。

土日出勤もへっちゃらだった。退廃的な時間や、遊んでる時間が酷く無駄に感じた。早くできることを増やしたかった。早く力をつけて社会を変えるよう働きかけないと。

 

入社してから半年もした頃、研修が終わり、本配属が決まった。

急に怖くなった。半年経ったが社会を望ましい方向へ変える力が身に付いたとは思えなかった。いつまでこの仕事をすればいいのか。本当に成長できているのか。何を、俺は何をすればいいんだ。どう動けば効率的なんだ。

仕事が自分にもたらすものを疑うようになった。

雑務に意味を見いだせなかった。

効率的な教育をしてくれない先輩にいら立ちを覚えるようになった。

 

わからなかった。自分がどこに向かっていて、今どれくらい進んでいるのか。

言われること、求められること、やりたいこと、できること

なんでも手を出した。何かがどこかに繋がるのはわかる。ならば打込むしかないと思った。

休日も休まらなかった。ずっと仕事の事を考えていた。

仕事は、「意義のあること」だ。苦しいはずがない。直接的に世界を変えていく実感はなくとも、経済活動の一環に携わっているなら、どこかで世界をよくしている。間違っていない。正しいんだ。言い聞かせるように、楽しいとさえ表現する自分は滑稽だったと思う。楽しいと言い続ければ楽しくなる。頑張り時だと思っていた。

どれだけどこまで打込んでも、理想の世界に近づけている気がしなかった。全然仕事はできないが知識は増えた。肌感も感じられる。ただこの延長線上に理想の世界が乗っている気がしなかった。

間違ってはない。間違ってはない。ここは自分を大きくしてくれる。

ただ、「いつまで」かかる?

 

繰り返しの作業はしんどかった。誰でもできるようなことをやるのが嫌になった。頼むから早く俺を成長させてくれと。『最短ルート』はわからないなら、わかるようになるまで『効率的』に成長しなければならない。

ただ、その『効率』も感じられなくて、しんどかった。最早明確な方向性もない上での『効率』など存在しないことすら気付けなかった。

 

僕は仕事をするのが苦しかった。

どれだけやっても進んでる気がしなかった。いつからか、『全力』すら発揮できなかった。苦しくて苦しくて逃避するための時間が必要になっていた。

 

苦しくて苦しくて、ある日突然、会社を休んだ。

もともとパンパンなのに休んだ次の日のタスクはどれだけやっても終わりを見せなかった。

しんどかった。

乱れた生活習慣が祟り、切れ痔が止まらなくて僕は毎日血を流すようになった。

想像以上に気持ちが悪くなった。

体調も悪くなって、休むと、またしんどいほどの仕事量が待ち構えている。

 

僕は立ち上がれなくなった。支える軸は打ち砕かれていた。

『最短ルート』『効率』も見失い
『最速』『全力』もだせない

あるのは『意義深い』『正しい』『楽しい』と口から出る妄想だけ。

 

なんのために、こんな頑張ってるんだろう

遊びも積極的に入れず、飲み会も最低限、尻から血を流して、必死に自分言い聞かせて

 

苦しいなあ

 

言葉にしてしまってから、僕は正常に働くことができなくなっていた。

僕は、肉体的、精神的に休養が必要だった。

 

正月に実家に帰ると、ばあちゃんはもうボロボロだった。

ドアを埋め付くすほど増えた種類の薬
脚を引きずるようになった歩き方
始まったボケ
作らなくなったという料理

そして、一日の半分を寝て過ごすという事実

 

頼むからもってかないでくれ。
彼女から、楽しさを奪わないでくれ。

野菜を自家栽培すること、料理する事、散歩すること、ご近所さんと集まってお話すること。

全部、全部、足が必要なんだよ。

歩けなくなることが、こんなにも人間を追いつめるのか。
彼女はどこか卑屈になってしまった。何かすると間違いを起こして怒られることが増えたのだろうか。寂しい顔をするようになったように感じるのは僕の気のせい?

 

寂しそうな顔も忘れられないが
一生忘れられないだろう出来事があった。

「食べたいものや、行きたいとこある?」と聞いたら、彼女は「そんなものはいらない。お金が欲しい」そう言った。

長生きしたいとは思わないと言っていた彼女が、お金を求めること。

僕はそれが意味する事がわからなかった。

 

僕は多分間違った解釈をした。いや信じたいものだけを選んでとったのだろう。

早く理想の世界を作り、生きてて良かったと思える世界を作らねば!

お金を欲した理由を明確にせず、自分が勝手に作り上げた理想の世界をプレゼントすることが最善と思ってしまった。

 

東京に帰ってきた時にあったのは、肥大化した焦りと、妄信的で全く現実的ではなく押し付けがましい理想郷を実現するという野望だけが残った。

 

その、愚かな野望と焦りが『最短コース』を見つけられない自分に『全力』は最低条件という固執を生んだ。

長時間の労働を求め、戸惑いながら働くこと、迷いながら働くことを許容できなかった。『最短コース』がわからないなら、戸惑い、迷いながら進んでいくしかないということは当然なのに。。。

社会復帰は大層難航した。

 

 

最近、久しぶりに弟と御飯を食べる機会があった。

知らなかったけど、ばあちゃんは再度倒れ、家族は手術を見送る決断をしていたらしい。ボケも脚の動きも悪化し、本格的に死期が近いとのこと。

 

気付いたら、全力が出せなくなってから1年近い。

もはや最近は、裏目標で貧困による苦しみを感じることで許されようとしていたと思う。同じような状況に遭遇し、同じような苦しみを味わうことで、どこか理解者であると示せるような気がしていた。ずっと、お金を使う事が後ろめたかった。

その中で、小説や漫画のコンテンツを漁り、「特別」な主人公が「理想」を掲げ、『全力を持って達成』することで事故投影をして浸っていた。

 

まったくもって、気持ち悪いの一言。

自分の悪いとこが前面に出てしまっている。

 

だが、ようやく、適切な問いを立てられ、自分が苦しんでいた理由がわかった。

『全力』でいることしか見えなくなっていたけど、『当初の理想』を思い出した。

自分で作り出した。よくわからない幻想で、実は誰かに望まれたわけでもない。勝手に作り、勝手に追い求めたもの。それが自分とばあちゃんの幸せに通づるかはわからない。けど、気持ちは本当だったし、方向性としては間違っていない。今後は自分の人生で取り組んでくテーマとして末永く付き合っていきたい。

 

良いか悪いか、『焦る理由』も消えた。

残念ながら、もう残された時間はない。ちゃんとばあちゃんのニーズに合わせた、即物的なモノやコトで対応していくべきだ。

 

そして『特別』

物語の中のことを現実に当て込みすぎた。大層なことを成す人間の絶対条件に『特別』はない。大層な労力をつぎ込んだ人や運が良かった人などの要素の一つとして、『人より目立った何か』が前面に押し出された結果、特別に見えるのだろう。

自分は『特別』ではない。『特徴』を持っているだけだ。残念ながら、『特徴』は望む望まない関わらず全人類にある。不幸を感じていたのは事実だ。でも、自分の不幸を何かの理由にしちゃいけないな。

誰もがみんな、欲しいものがあったら努力をする。その難易度が人によって違うのは当然だ。得意不得意があるから。スタートラインは違うことがあってもゴールテープの場所は変わらない。諦めなければいいだけ。

 

 

今回そういう、固まった概念を、捉え直す切っ掛けをくれたのは人との繋がりだと思う。

 

昔から自分以外が出す音が苦手で
誰かが世界に介入してくる感覚を不快に感じていた。

自分のルールで整然とある様が好き。

不登校を経てから今までの人生はずっと自分一人で決めて、進んできた。

どういう大人になりたいかということ、勉強を始めること、大学行くこと、浪人すること、どういう就職をするということ、こういう社会を作りたいということ。自分一人で決めて、助けられながらやり抜いてきた自負がある。

頼れる大人がいなかったからか、自分は自分の世界で完結しがち。夢想家で自分勝手。

 

でも、この一年何回も自分の想い通りにならない「人」という異物が入り込んできた。

全然言う事聞かないし、ままならないような現実の人が、たくさん自分を揺さぶった。アドバイスや心配の声は「意見という選択肢」以上に大きなものとなって凄く自分を揺さぶった。

それらが、「信じたいものだけ信じて作り上げる自分だけの世界」とは違う「有機的で人との繋がりで作られる世界」の重要性や強さ、大切さを教えてくれた。

・ありがとうメモ
辛抱強く接していただいきありがとうございます。
Hさん。Sさん。Mさん。
寄り添ってくれてありがとう。
Yさん。Kさん。
対等でいてくれてありがとう。
S。I。

一緒に楽しんでくれた友達。ライバルであり高め合う同僚。

君らの文句を言いながらも前に進む姿勢はいつも、眩しくて、励まされてました。同時に一瞬一瞬の楽しさを感じる喜びを教えてくれてありがとう。

そして、彼女。

変わらない日常にとても支えられました。大変言い難い中で、付き合うことに将来的な不安があることや、現状のままじゃ離れる可能性を示唆してくれてありがとう。正直に言うと「愛があるから大丈夫。全て任せて!」みたいな圧倒的愛情表現のある言葉も欲しいところですが、むしろニュートラルで安心。頑張ります。

 

本当にメンタルヘルスを損なう原因は千差万別だと思います。自分と同じような人がいるとは思えないし、他者の体験期を見ても上手く噛み砕けない事もあります。

共感もしにくいし分、理解もされにくいかもなと思います。

僕も病んでる時は、本当にグチャグチャで支離滅裂で、逃げ腰の極みでしたが、何言ってるんだこいつ、言ってる事二転三転してるぞコラ。みたいな状態でしたが、こうしてある程度まとめてブログに書けるようにはなりました。

だから、戦ってる人は、整合性とか、人の目とか全部気にしないでいいと思います。死ぬほど迷惑かけて、一年も使って、結局こんな簡単なことかい!みたいな人もここにいますから。

そして、関係者の方や、将来関係者になるであろうかたは、千差万別であるし、ある人にとっては小事でも当事者にとっては大事である場合があると記憶にとどめておいていただけると助かります。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

あー、謝るの嫌だあああああああああああああああああああ

 

誰かの一助になれば幸いです。
2017/11/13 ロマンチストサラリーマン

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